国指定名勝「三溪園」臨春閣玄関から修理工事中に戦前の遺構を発見!

2022年07月13日更新

国指定名勝「三溪園」臨春閣玄関から修理工事中に戦前の遺構を発見!

国指定名勝「三溪園」では、重要文化財「臨春閣」の保存修理事業の一環としておこなっている耐震補強工事において、戦災により失われたとされていた玄関棟の床が発見されました。

平成30年から続いた同事業は令和4年8月に完了予定、今秋には同事業の完了および三溪園完成100周年を記念し、通常非公開の建物内部とあわせて同遺構を特別公開予定です。

◆臨春閣(りんしゅんかく)概要
臨春閣は、三溪園内苑の中心となる重要文化財建造物で、江戸時代初期に紀州徳川家の別荘として建てられたとされています。明治39年に三溪園の創設者・原三溪が入手した当時は、豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と考えられていたことから、原三溪は「桃山御殿」と呼び、秀吉ゆかりの美術工芸品で室内を装飾して日々の生活を楽しみました。
移築が完了した大正6年には、長男・善一郎の結婚式が執り行われるなど、園内でも特に重要視されていた建物でした。室内は、数寄屋の意匠を取り入れた書院造りの旧態を残し、各部屋からは三重塔や周辺の景観を存分に眺めることができ、外観の美しさのみならず、内部から見る風景にも注目が集まります。
同建物については、平成30年度から主に桧皮葺屋根(ひわだぶきやね)・杮葺屋根(こけらぶきやね)の経年劣化の補修を目的とした保存修理工事、あわせて耐震診断・補強工事も実施され、昭和の戦災を乗り越え守り継がれたこの建物を、さらに末永く守り伝えることを目指しています。

◆耐震補強工事のなかで発見された遺構〜発見の経緯
戦前の玄関棟の床の遺構は、今回の耐震補強工事にともなう作業過程で発見されました。修理工事とともにおこなっている耐震補強工事では、耐震壁と鉄筋コンクリートの重石を設け、両者を繋ぐことで揺れが発生した際に建物の浮き上がりを防ぐ方法をとっています。その重石を地中に設置するため、床板が張られていない玄関部分については地面を直接掘り下げる必要がありました。そして表面のモルタルを取り除き深くまで掘り進めようとした際に、戦災によって失われたとされていた四半敷き(石や瓦を縁に対して斜め四五度に敷き詰める技法)の黒い石張りの床が現れました。
三溪園には戦前の園内の様子を伝える写真が残されており、「かつての臨春閣の玄関棟内部は現在とは違っていた」ということ、「玄関棟は臨春閣のなかでも原三溪が同建物を移築した際に増設した箇所である」ということは知られていました。その後昭和20年の戦災により臨春閣は大きな被害を受け、戦後の復旧修理事業の記録においても「玄関棟部分は新規に建設した」と記述されているのみであったことから、戦前のものは一切遺されていないと考えられていましたが、今回地下掘削を行ったことから図らずも遺構が発見されました。

<お問い合わせ>公益財団法人三溪園保勝会 TEL:045-621-0635

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