未来へつなぐ横浜の物語 横浜都市発展記念館「戦争の記憶-横浜と軍隊の120年」4/12(日)まで開催中
横浜都市発展記念館
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横浜都市発展記念館では、2026年1月24日(土)から4月12日(日)まで、「戦争の記憶-横浜と軍隊の120年」を開催中です。
黒船来航からベトナム戦争までの約120年を、地域に残る遺跡やモニュメントを通して紹介する展覧会で、発掘調査の写真や図面からは、今も身近に残る戦争の痕跡が見えてきます。
地域に刻まれた“記憶”を見つめ直す貴重な機会となり、日常の風景にも歴史が息づいていることに気づかされました。背景を知ることで、横浜への愛着がいっそう深まる、そんな展覧会の様子をレポートします。
◆展覧会の見どころ
同展は、戦後80年(2025年)という節目を締めくくる企画展として、横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターとの合同開催という特別な形で実施され、館内の3会場で構成されています。
今回は、3つのフロアにまたがる会場を、3階→4階→1階の順に巡り、各展示テーマや注目ポイントをご紹介します。

◇横浜と軍隊の120年[第2会場](3階)
横浜は江戸時代の開港以来、治安維持や防衛のため軍との関わりを深め、関東大震災(1923年)後の治安悪化や満洲事変(1931年)・盧溝橋事件(1937年)を経て軍拡が進みました。第二次世界大戦期には軍需工場が整備され、街の姿も大きく変わっていきます。
戦後はアメリカ軍の接収が広がり、横浜の広い範囲が軍事利用されました。返還後の跡地利用は、現在まで続く重要なテーマとなっています。
第2会場では、約120年にわたる横浜と軍隊の関係が、時代ごとの重要な転換点に沿って紹介されています。
馴染みのある地名も多く登場し、街の変化を遺構とともにたどることができる貴重な展示です。

展示で特に印象的だったのは、現在はレジャー施設への路線として親しまれる「こどもの国線」が、もともと軍の弾薬輸送のために敷設された鉄道だったという点です。こどもの国の園内には弾薬庫跡が今も残り、当時の様子を静かに伝えています。
また、日頃から馴染みのある岸根公園も、戦後に米軍が接収した「岸根キャンプ」という軍施設でした。1960年代にアメリカがベトナム戦争を本格化させると、米国内外の基地が広く活用され、岸根キャンプもその一部として利用され続けました。1970年代に返還が進み、公園として整備されて現在の姿になりましたが、広い敷地や地形には当時の名残が見られます。


このように、“横浜と軍隊”の痕跡は今も身近な場所に残されています。
しかし、かつて軍事利用された土地が、いまは家族連れや子どもたちの笑い声が響く場所へと生まれ変わっていることは、歴史の重さとともに、未来への確かな希望を感じさせてくれます。


◇横浜の軍事施設Ⅱ(陸軍編)[第3会場](4階)
同展では、横浜に残る30か所の軍事施設跡を取り上げられていますが、第3会場では陸軍に焦点を当て、街に刻まれた軍事の歴史を紹介しています。
横浜の陸軍施設の多くは、防空のために設けられた陣地が中心でした。その一例として、戸塚区の舞岡熊之堂遺跡では宮根照空隊陣地が挙げられます。
展示の中でも印象的なのが、舞岡熊之堂遺跡です。
この遺跡は、戸塚駅から2kmほど離れた丘の上の住宅地に位置しており、現在の生活圏のすぐそばに戦時の痕跡が残されていることがわかります。
この照空隊陣地の発見は、実は全くの偶然で、市営墓地の造成に伴う発掘調査の過程で、たまたま遺構が見つかったそうです。特に、太平洋戦争末期の照空隊陣地跡が良好な状態で確認されたことは、大きな成果として注目されています。


また、子安台の遺跡は高速道路工事の際に高射砲が発掘され、さらに、小机照空隊陣地も聞き取り調査によって跡地の位置が明らかになりました。
横浜の街には、普段は気づかない身近な場所にも戦争の痕跡が静かに残されており、展示を通してその歴史を知ることができます。同展では、こうした最新の調査成果が紹介されており、戦争の記憶が私たちの日常のすぐそばに今も息づいていることを改めて実感させられます。


◇横浜の軍事施設Ⅰ(海軍編)[第1会場](1階)
横浜は、東京・横須賀・相模原に囲まれた地理的条件から、かつて多くの軍事施設や軍需工場が集まっていました。
特に国内最大の海軍拠点である横須賀に隣接していたことから、首都・東京を守る「帝都防衛」の重要拠点として、“防衛の要”と位置づけられていました。
横浜・金沢区周辺には、横浜海軍航空隊(金沢区富岡)や横須賀海軍航空隊、海軍航空技術廠(かいぐんこうくうぎじゅつしょう/横須賀市追浜)などが置かれ、周辺一帯に多くの軍事施設が整備されました。
なかでも野島(金沢区)は航空隊に隣接していたことから、防空砲台や防空壕に加えて、飛行機を空襲から守るための「掩体壕(えんたいごう)」が設けられました。
掩体壕とは、航空機を爆撃から守るために土塁やコンクリートで覆った壕で、地下格納庫の役割を果たしていました。
一般的には1機ずつ収容する小規模なカマボコ型が多いなか、野島掩体壕は巨大なトンネル構造で、日本に現存する掩体壕遺構としても最大級とされています。
このように、軍都・東京と軍港都市・横須賀に挟まれた横浜には、立地ゆえに多くの戦争関連遺構が残されています。展示では、調査によって明らかになった写真や図面をもとに、今も身近に残るこれらの遺構が紹介されています。

◆まとめ
過去の痕跡を丁寧にたどることで、横浜が歩んできた歴史の重みと向き合える展示ですが、同時に、例えば、かつて軍事施設だった場所が新たな役割を担い、人々の暮らしを支えている姿から、街が未来へ向けて確かに歩み続けていることも感じられます。
そして何より、歴史を知ることで、普段見慣れた風景がまったく違って見えてくる瞬間があります。「この場所にこんな過去があったんだ」「こうした理由でここにあるんだ」と背景に気づくことで、横浜という街への親しみや愛着が自然と深まっていく展示です。
横浜の“今”と“昔”がつながる貴重な体験ができるので、ぜひ足を運んでみてください。

あわせて行きたい:周辺の歴史的おすすめスポット
①開港広場
大さん橋と山下公園の通りが交差する角に位置する「開港広場」は、1854年に日米和親条約が締結された歴史的な地として有名です。
(横浜都市発展記念館から徒歩約3分)
②横浜公園(横浜スタジアム)
1896年に日本初の国際野球試合が行われた「日本野球発祥の地」。関東大震災後の復興事業の一環として1929年に本格的な野球場が完成、戦後の米軍接収を経て1952年に返還されました。
(横浜都市発展記念館から徒歩約4分)
③山下公園
山下公園は、1923年の関東大震災で発生した市内の瓦礫を埋め立てて造られた、震災復興のシンボルとなる日本初の臨海公園です。
(横浜都市発展記念館から徒歩約5分)
④横浜赤レンガ倉庫
明治末期から大正初期(1911〜1913年)に国の保税倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物です。関東大震災や戦災を乗り越え、当時の面影を残しています。
(横浜都市発展記念館から徒歩約10分)
開催概要
名称:展覧会「戦争の記憶-横浜と軍隊の120年」
会場:横浜都市発展記念館
会期:2026年1月24日(土)~4月12日(日)
※休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館し、翌平日が休館)
時間:9:30~17:00(券売は16:30まで)
料金:一般 800円/小・中学生及び市内在住65歳以上 400円
※この展覧会に限り毎週土曜日は小学生・中学生・高校生・大学生は無料
<お問い合わせ>
横浜都市発展記念館 TEL: 045-663-2424
URL
港ヨコハマに流れ着いた引っ越し多めのバガボンド。
MBTI診断は冒険家型。趣味は旅行(建築探訪、史跡巡り)、数独、野球、相撲、洋画、洋楽。
好きな横浜スポットは、ナイターに浮かび上がる横浜スタジアム、街中のオアシス元町公園水泳場。
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