「旧根岸競馬場一等馬見所」横浜市認定歴史的建造物 認定記念 企画展で19世紀の横浜にタイムトリップ

横浜開港資料館

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「旧根岸競馬場一等馬見所」横浜市認定歴史的建造物 認定記念 企画展で19世紀の横浜にタイムトリップ
「旧根岸競馬場一等馬見所」横浜市認定歴史的建造物 認定記念 企画展で19世紀の横浜にタイムトリップ

横浜に残る近代建築の名残、「旧根岸競馬場一等馬見所」が2025年1月に横浜市認定歴史的建造物に認定されました。これを記念し、2025年4月12日(土)から5月11日(日)まで、建設当時の歴史資料や写真を紹介する企画展が横浜開港資料館で開催中です。 同館の白井調査研究員にご案内いただきました。
約60点の貴重な資料を通しタイムトラベルの始まりです!

◆横浜開港資料館について

横浜開港資料館は、横浜の開港から戦前までの歴史を伝える施設で、資料館のある場所は、1854年の日米和親条約が締結された地でもあります。
中庭には、日米和親条約締結時にも存在していたと伝えられる「たまくすの木」があり、横浜開港の象徴として親しまれています。

そんな資料館で、19世紀の開港時に時間旅行してみましょう!

横浜の歴史の生き証人「たまくすの木」
横浜の歴史の生き証人「たまくすの木」
横浜開港資料館の中庭
横浜開港資料館の中庭

◆日本初の洋式競馬場ができるまで 横浜と競馬の歴史について

1859年に横浜が開港し外国人居留地が設けられると、欧米人たちは自国の娯楽文化の一つである競馬を日本に持ち込みました。彼らの求めに応じて、1866年、幕府によって日本初の洋式競馬場・根岸競馬場が開設されました。

展示資料からは、「競馬」が、スポーツや娯楽の域を超え、日本にとっては、外交の最前線であったことが伝わってきます。
外国の高官も多く訪れる根岸競馬場は、いうなれば、当時の国際交流の象徴で、横浜の国際都市としての歩みには欠かせない存在だったようです。

豊富な資料が並ぶ展示室
豊富な資料が並ぶ展示室
図面、写真、浮世絵、風刺画など、約60点の貴重な歴史資料が勢ぞろい
図面、写真、浮世絵、風刺画など、約60点の貴重な歴史資料が勢ぞろい

そんな、居留外国人にとっても日本にとっても存在意義の大きい競馬場ですが、完成までには紆余曲折があったそうです。
西洋式の競馬(乗馬)は当時の日本では馴染みがなく、文化や習慣の違いにより、日本人と外国人との間で数々のトラブルもあったことが、展示資料から読み取れます。
同時に、苦難を乗り越えてまでも競馬場を作りたい、という居留地の人々の熱意も高揚感とともに伝わってきます。

「競馬は居留地にとって社会生活の必需品」と記した資料も残るほどでした。

1901年春季競馬大会のアルバムが当時の様子を伝えてくれます
1901年春季競馬大会のアルバムが当時の様子を伝えてくれます
「競馬は居留地にとって社会生活の必需品」と記した資料も残っています
「競馬は居留地にとって社会生活の必需品」と記した資料も残っています

展示資料を読み進めると、1866年に根岸競馬場が完成するまでの経緯もわかります。
まず1860年頃に、なんと現在の元町に、次いで中華街(前田橋付近)に、仮の競馬場があったことが、個人の日記に残っているのです。

このように、仮競馬場も設けられ、順調に競馬場開設への機運が高まっている矢先、1862年 生麦事件で日本国内における外国人排斥の機運が高まったことから、競馬自体が停滞したそうです。
そうした逆境を乗り越え、1864年頃から競馬場開設の動きが再開し、ついに1866年に根岸競馬場が完成するに至りました。

当時の根岸競馬場の写真が残るアルバム
当時の根岸競馬場の写真が残るアルバム

展示室には、出馬表などが記された実物の「根岸競馬番組」や、横浜で競馬文化の普及に従事した居留外国人が残したアルバム(モノクロ写真)、そして浮世絵から幕府への嘆願書まで、貴重な資料が多数並びます。
残された風刺画を見ると、居留地の人々がいかに競馬を楽しみにしていたか、当時の華やいだ雰囲気がよく伝わってきます。

貴重なシルク印刷の実物が残る、根岸競馬番組表
貴重なシルク印刷の実物が残る、根岸競馬番組表
風刺画
風刺画

そんな根岸競馬場も時代の流れと共に変容を遂げ、1942年に接収、翌年に閉鎖され、1977年に新たに根岸森林公園として生まれ変わり、今なお、その歴史は続いています。

「根岸競馬場」から「根岸森林公園」へと変容を遂げる姿を、展示室では映像で振り返えることができます
「根岸競馬場」から「根岸森林公園」へと変容を遂げる姿を、展示室では映像で振り返えることができます

◆J.H.モーガンについて 「旧根岸競馬場一等馬見所」等設計図を初展示

根岸競馬場の一等馬見所(スタンド)を設計したアメリカ人建築家J.H.モーガンは、1920年に米国の建設会社フラー社の設計技師長として来日しました。

たまの夫人より寄贈されたモーガンのパスポートなど
たまの夫人より寄贈されたモーガンのパスポートなど
モーガンの妻、たまの夫人は公私ともにモーガンを支えました
モーガンの妻、たまの夫人は公私ともにモーガンを支えました

横浜に残る彼の作品は、根岸競馬場の他、山手111番館、横浜山手聖公会、ベーリック・ホール、横浜外国人墓地(旧山手門)など枚挙にいとまがなく、横浜の近代建築の礎を築き、今日においても都市景観に大きな影響を与えています。

モーガンは1937年に亡くなり、自身が正門を設計した横浜外国人墓地で今も眠っています。

横浜に残る数々のモーガン建築
横浜に残る数々のモーガン建築
「100キロクラブ」の記事では、横浜で公私ともに充実した生活を送るモーガンの様子が伺えます
「100キロクラブ」の記事では、横浜で公私ともに充実した生活を送るモーガンの様子が伺えます

そんなモーガンの実際の設計図を展示するのは、なんと今回が初めての試みで、建築事務所の所員により保管されていた貴重な実物の図面が公開されています。

根岸競馬場一等馬見所は1929年に竣工した鉄筋コンクリート構造で、当時としては非常に先進的な設計でした。特にエレベーターを備えた構造は珍しく、競馬場の設備は「東洋一」と称されるほどでした。

図面からは、すでに失われた貴賓室の天井に描かれていた鳳凰の下図や、一等馬見所と二等馬見所の配置角度が変更されているなど、当初の設計と仕様が変わっていることなどが見て取れます。

そして、一等馬見所の完成後も、競馬場施設の老朽化や利用者の増加に伴い増改築が繰り返され、モーガンの建築事務所が請け負っていたようです。

貴賓室の天井に描かれていた鳳凰の図面
貴賓室の天井に描かれていた鳳凰の図面
馬見所の配置角度が変更されていることが伺える図面
馬見所の配置角度が変更されていることが伺える図面

J.H.モーガンが横浜で手掛けた21件の建築の内、13件の設計図が、横浜開港資料館に保管されており、なかには、今なお横浜の日常に溶け込むホテルニューグランドの図面もあります。

今も残るホテルニューグランドの図面
今も残るホテルニューグランドの図面
現在のホテルニューグランド正面外観
現在のホテルニューグランド正面外観

また、彼が設計し1932年に竣工したアメリカ領事館(現在の「ホテルモントレ横浜」跡地に位置する)は、残念ながら現存していませんが、ホワイト・ハウスに似せたデザインであったことが図面からよくわかります。そして、彼が植栽にもこだわりを持っていたことも読み取れます。

植栽の指示まで細かく残るアメリカ領事館の図面。「日米和親条約が締結された地」から米領事館へ「たまくすの木」を移設す噂もあったそうです
植栽の指示まで細かく残るアメリカ領事館の図面。「日米和親条約が締結された地」から米領事館へ「たまくすの木」を移設す噂もあったそうです

◆まとめ

「旧根岸競馬場一等馬見所」は、日本初の洋式競馬場の観覧施設で、国内に現存する最古の馬見所として、歴史の生き証人です。
耐震工事などを施して2029年の一般公開を目指していますが、実物を見る前に、同企画展で資料を通して予習しておいてはいかがでしょうか。
歴史ファン、競馬ファン、建築ファンはもちろん、横浜に関わる・訪れる多くの方におすすめです。

<J.H.モーガン>
1873年 出生
1920年 来日
1937年 没

<根岸競馬場>
1866年 開設 ※根岸競馬場の初期設計はイギリス駐屯軍のボンド中尉による
1929年 根岸競馬場一等馬見所(スタンド)竣工
1942年 接収
1943年 閉鎖
1977年 根岸森林公園として開園
2029年 一般公開〈予定〉

【開催概要】

〔名称〕横浜市認定歴史的建造物「旧根岸競馬場一等馬見所」認定記念~館蔵コレクション展示「根岸競馬場と建築家J.H.モーガン」
〔会期〕2025年4月12日(土)~5月11日(日)
 ※一部展示の入れ替えがあります[前期:4月12日(土)~4月26日(土) 後期:4月27日(日)~5月11日(日)]
 ※月曜日休館[ただし2025年5月5日(月)は開館し5月7日(水)は休館]
〔時間〕9:30~17:00(入館は16:30まで)
〔場所〕横浜開港資料館
〔TEL〕045-201-2100

URL

【公式】横浜開港資料館 館蔵コレクション展示「根岸競馬場と建築家J.H.モーガン」

【横浜観光情報】横浜開港資料館の敷地内にショップやカフェなどの複合機能施設「ポーターズロッジ」