流されていく日常のなかで、美しきもの、手応えのあるものに触れてみたい。
そんな思いに応える茶道体験。
先の見通せない時代のせいだろうか。身近な暮らしのあれこれを大切にして、日常をていねいに生きるというようなライフスタイルに脚光が集まっているようだ。そうなると侘びや寂びといった美意識をもつ茶道におのずと目が向けられるのは当然だろう。考えれてみれば、茶を点てるという行為も、応仁の乱の虚脱のあと、先の見通せない時代に始まったものだった。流されてゆく日常のなかで、なにか美しさや手応えを感じたい。暮らしに彩りを添えてみたい。そんな思いに応えてくれるのが、2020年6月に開業したニュウマン横浜のなかにある「茶論」だ。通勤やショッピングといった日常の延長で、フロアを7階に進むと、そこには少しだけ日常を離れて、茶の稽古と茶道具を買い求めることのできる一角がしつらえてある。店内に入ると季節の掛け軸が客をもてなすように下げられ、さらに進むと横浜港を見下ろす明るく開放的な窓。現代の横浜という日常のなかで茶を楽しむというコンセプトが明快だ。茶室ににじり入るのでなく、テーブルを前に椅子に座って普段着のまま茶を点てる。まずは流派にとらわれず、茶本来の楽しみ方や所作を学ぶ。初めての茶道体験として、これほどよくできた場はあるまい。稽古には女性のみならず男性一人も訪れるという。まずは体験すべし。
横浜市西区南幸1-1-1 ニュウマン横浜 7F/ TEL:045-534-3203
体験稽古 3,300円(税込・お茶と菓子付き)※要予約
https://salon-tea.jp/
営業時間(稽古)平日11:00〜21:00/(見世)平日11:00〜20:00
定休日:不定休(施設の店休日に準じます)
「横浜駅」中央北改札または中央南改札からすぐ
新しい視点をもたらしてくれるSUPという体験。
知っているはずの横浜の光景が、まるで違って見えてくる。
たとえば、晩秋。横浜でありながら、いつもの横浜とはまるで違う光景に出会いたくなったら、大岡川のほとりにある水辺荘を訪ねてみるといい。どこか懐かしいアパートの名を連想させるこの水辺荘は、たしかに古い建物が櫛比するなかにあって少しの違和感もないが、じつは近年ブームとなっているSUP(サップ:スダンドアップパドルボード)の拠点となっている一般社団法人なのだ。案内を請うて陸上で基本的な講習を受ければ、その日のうちに桜桟橋と名づけられた「川の駅」から、透明度があがり川底まで見えるようになった大岡川に立つことができるだろう。いったんパドルをもって漕ぎだせば、そこは、知っているはずのいつもの横浜ではない。川面から見上げる橋の上に人の姿などを認め、ここはどこだろうとわくわくしているうちに、わずか15分ほどで視界が一気にひらけて河口からみなとみらいの海に至るのである。見上げる全方位が明るく、見わたすすべてが違う。ハワイが発祥の地とされるSUPは、新しい水上スポーツとして世界各国の海辺に広がっただけでなく、ロンドンのテムズ川などでは活発にツーリングがおこなわれ、都市における新しい移動手段としての可能性も探られているという。いずれにせよ、日常に新しい視点をもたらしてくれるSUPのツアー、今度の週末に試してみてはいかがだろう。
横浜市中区日ノ出町2-163-4
URL:http://mizube.so/
禅寺ならではの張りつめた空気のなか、どこか不思議と穏やかさを感じさせる。
それが總持寺という寺の魅力。
禅といえば、多くの人は坐禅を組むことによって悟りを得る修行と思うだろう。実際、日本における曹洞宗の開祖というべき道元も、ただひたすらに坐るという意味で只管打坐(しかんたざ)を唱えた。
だが、曹洞宗では、坐禅だけが修行なのではなく、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)すなわち歩き、止まり、坐り、臥すという日常すべての行為が修行であるという。こうした禅の教えが空論ではないことは、總持寺の境内に一歩、足を踏み入れてみるだけで了解される。修行僧らは、われわれとすれ違うその瞬間、足を止め、俗人に向かって合掌して立ち去るのだ。まさに行住坐臥、日常すべてを修行としているためである。横浜市内にあるということが信じられないような境内の静寂も、修行の場としての總持寺のありようをいっそう際立たせているが、それでいて不思議と身を刺すような緊張感は感じない。それというのも、ここ總持寺は曹洞宗でありながらも、坐禅による自己救済だけなく、衆生済度を願う瑩山禅師(けいざんぜんじ)の思いで建てられた寺だからという。すなわち、大悲の誓願をたてた瑩山禅師の慈悲の思いが、すみずみにまで行き届いている空間ということなのだろう。禅寺ならではの張りつめた空気のなかに、どこか穏やかさを感じさせる總持寺の魅力。それは、訪れた人だけが感じ得る仏教というものの懐の深さによるのかもしれない。
創建800年の歴史をもつ禅寺で、静かに坐禅を組んでみる。
その体験が気ぜわしい日常を変えてしまうかもしれない。
剣禅一如という言葉がある。宮本武蔵の師ともいわれる臨済宗僧侶・沢庵和尚の言葉で、生死に向き合う剣の境地と禅の無念無想とは究極のところで一致するという意味だ。命のやりとりをする極限状態で、平静でいることは難しいだろう。しかし、その場面で、なお揺るぎない自己を保つことができるとしたら、その生はどれほど強く、平安に満ちたものになることか。おそらく、熾烈な競争にさらされる現代のビジネスマンたちが坐禅に向かう理由もこのあたりにあるのだろう。横浜は金沢文庫にある東光禅寺では、近年ブームのようになっているこうした坐禅会を40年も前から続けている。若き副住職は、京都・建仁寺と鎌倉・建長寺で臨済宗の修行を積んだ人。もともと国際貢献を志し、オランダ国立社会科学大学院大学を修了したのち、国際開発に関連する企業で、途上国における開発援助の活動に従事した経験をもつ変わり種だ。アメリカやドイツ、フランスでは禅が盛んで、東光禅寺でも外国人の参禅者が多く、英語で禅を教えると喜ばれるという。むろん日本人のわれわれが訪れて臆することはない。寺という言葉には、サンスクリット語で命を光り輝かせるところという意味があるという。まさにそうした生の輝きこそ、現代の激しい変化に倦み疲れたわれわれの求めるものなのだから。
凛としたたたずまいが美しい剣道。
幕末の舞台となった横浜で、所作にこだわる大人の剣道を始めてみる。
剣道と聞いて人が思い浮かべるのは、おそらく竹刀や面、銅といった道具であることが多いだろう。それとともに、茶道や華道といった日本の伝統につながる様式美を感じ、かすかな憧憬を抱く人も多いのではないだろうか。茶道において茶を点てるふるまいと、竹刀をもって立つ剣士のたたずまいには、張りつめた精神性において、たしかに似たものがある。憧憬を抱きながらも、実際に剣道をやってみたことのある人は少ないだろうが、ここ横浜ならば、その思いは叶うかもしれない。尊皇攘夷の舞台となり、また開港して日本の表玄関となった土地柄のゆえか、横浜は剣道場が多く、その剣は開明的でありながら、しかも強い。たとえば日ノ出町にある「秀武館敬心道場」では、星野敬子七段が館長をつとめ、女性らしいたおやかさで初心者を指導しているのだが、この星野七段は「お通杯」と 呼ばれる宮本武蔵を顕彰した女子剣道大会において2年連続優勝している練達の剣士なのである。道場では50歳や60歳になって剣道を始めた人も多く、そうした初心者も数年のうちに有段者に育てていくという。学生のような試合結果至上主義ではない、大人の剣道をゆっくりと始められる場所。それが横浜の剣道場なのだ。
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